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あんなに優しかったゴーレム


2008-08-24 03:26 | 日記, 演劇

ヨーロッパ企画第26回公演「あんなに優しかったゴーレム」@あうるすぽっとに行ってきました。

ここのところのヨーロッパの講演はなんだかんだでずっと観にいっています。

僕らの世代でゴーレムと行ったら、メルキドの町にいたアイツです。
妖精の笛で眠らせるアイツです。

人間の心の曖昧さと、その曖昧さを排除すべくして発展してきた科学との対比が、ゴーレムという空想上の生き物を題材に、上手く描かれていました。

ネタバレ注意

そもそもゴーレムは存在するのか?

科学的に答えてしまうと、存在しません。
なぜならば、誰もが理解できる客観的な証拠がないからです。
例えば、遺跡から発掘されたゴーレムに今の科学で理解できる動力源が組み込まれていた、とか。
この場合も「今の科学で理解できる」が問題で、「理解できない何か」だった場合は証拠にはならず、存在しないことになります。

一方で、「子供の頃、よく空き地でゴーレムとキャッチボールしてました。」
これは人間の心として、存在しているわけです。
この例はSF寄り過ぎますけど、「昔、魂を吹き込まれたゴーレムという土の人形がいたんだ。」と思うこと、この瞬間にゴーレムはその人に取って、科学的な証拠なんかよりも確実に、存在していることになります。

伊坂幸太郎のグラスホッパーで、主人公が言う印象的なセリフ(もともとは主人公の妻のセリフ)があります。

「ブライアン・ジョーンズがローリング・ストーンズにいた証拠だってないですよ!」

科学的に答えるとストーンズに在籍していた証拠はゴマンとあるわけですが、その事実を知らない人、さらにはその事実がねつ造されたものだと信じて疑わない人がいたとしたら、その人たちに取ってブライアンはストーンズにはいなかったことになります。

科学の進歩と信仰の後退

人間は科学を進歩させる一方で、その枠からはみ出たものを「信じない=存在しない」ものとして処理しすぎているんじゃないかと。そして、科学的にゴーレムなんていないと考えている人にとっては、今の科学では説明がつかないかもしれないけどゴーレムが存在すると思っている人たちは最も遠い所に存在するし、ゴーレムは存在すると思っている人にとっては、ゴーレムが存在しえない科学的な理由は最も遠いところに存在していて、共に絶対に歩み寄らない状態を生み出してしまっている。

人間は相手を想うことで伝わる「何か」、みんなが信じることで生まれる「何か」、日本人であればお地蔵さんを蹴ることができない「何か」のように、思考が周りに影響を与えることを知っているのに、科学の枠に嵌めすぎてしまって、その他のすべてを失っているんじゃないでしょうか。

そんなことを考えさせられるお話でした。
とても面白かったです。

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